この駅伝の話を聞いたのは、4月中旬、OB会の近松氏が拙宅を訪ね、5月5日高専のグラウンドで開催するので、是非参加して欲しいと、案内をいただいた。始めはピンとこなかったが、次第にその企画の素晴らしさに、行くことをすぐ決めた。 4月29日、織田記念国際陸上に出かけた。中国新聞の小笠原運動部長から「記事を見てくれましたか?、先生も参加されるそうですネ!」とその日の朝刊を見せられた。本部席で暫くその話、谷岡・前の両氏も顔を揃え、いろいろ説明をいただいた。
時を待つこともなく5月5日はすぐやってきた。当日は、飯田氏のデラックスな車で約30分、先小倉に着いたが、4半世紀前の面影は無く、阿賀湾を一望する橋を往復、少し遊んで高専を訪ねた。 あの日から約半月、今考えると、この日は終日足が地についていなかった。私の生涯で稀に懐かしく嬉しい最高の日であった。 開会式は、篠部学生主事の挨拶で始まり、続いて目を閉じて聞いていた難聴の私は、隣に促されマイクの前に立ち、この企画に精根を傾けていただいた関係の皆さんに対し、心からの感謝を申し上げた。またこの競技場は、1967年3月竣工で、カーブを90Mにした最大の理由は、スポーツ傷害を予防する練習主体のグラウンドであり、併せて公認を取得したものであることに言及しておいた。
雨の止んだグラウンドに出て、先ずは最大の目的である「ケヤキ」との対面を果たした。対面する機会のなかったこの24年の間、立派に育てられ大きくなって、新緑が美しく眩しかった。 この木は、1973年全国高専大会準優勝を記念して植樹した「ケヤキ」である。植樹とは名ばかりで、割箸程度の幼木を一本。続いて二本目も、芝生の中に植えたのは植えたが、管理不十分。いずれも跡形もなく刈り取られ、泣くに泣けなかった。 その後、約7〜8年経過して、再び庭に植えていた少し大きくなった「ケヤキ」を三本目として持って行きグランドに植えた。 そして、間もなく、M科16期吉村氏が、かなり大きな穴を掘り、沢山の石ころを除け、クルマで堆肥を運んで植え付けてくれた。それがこの木である。 格別、最初から「ケヤキ」に拘ったわけではないが、欅の右は挙(コゾ)って、・挙(ア)げて・木はボクである。「ボクら陸上部は、コゾって・アゲて・すべて・のこらず・みんな」立派な人材に育ってくれるよう、私は心を込めて、この木に「願い」を託した。
当日は、昼ごろまで気温が低く寒かった。みんなに気を遣っていただき、現役の学生諸氏からの、防寒着・温かい飲み物などの配慮は、身にしみて嬉しかった。 本番の駅伝は、OBがスタートを担当したようで、以後一周前後を現役・地元の人・子どもさん・元オリンピック選手など、OBも交えてみんなニコニコしながら襷を継いで楽しんでいた。 300Mトラックを166周+200Mで丁度50KMになる。 私は26年在職に因んで、26Mジョギングして、皆さんには拍手しながら伴走していただきフィニッシュした。このようにして、念願の50キロ駅伝は大きな成果を挙げて終結した。
昭和40(1965)年から始まった、中国地区高専大会は、第3期校の呉としては、その4年後の第5回大会で同列に並んだわけである。言い訳をするようであるが、本気になったのはこのあたりからだと思う。 OB諸氏の走る姿を見て、26年間の練習や大会などの風景が、走馬灯のように思い出された。なかでもグラウンドに翻る部旗を見上げる度に荒川氏を思う。<学生寮の窓から覗いたトラックにブラッシュを引く、荒川さんを見て・・・吸い寄せられるように練習に出た>と・・・。次々とOB達の走る姿を見ながら、当時を思い出し、懐かしさいっぱいの一時でした。
振り返ってみると、地区大会では80点前後も取れば、クラブ活動としては成功だよ!と嘯(うそぶ)いていた私も、優勝の厳しさには、一喜一憂したものです。 優勝!を確信していた14回大会の結果は、同点(102点)の2位だった。かと思えば、16回大会の107点は予想をはるかに超えていた。この年、私は学生主事5年目、来年度に全国大会主管校を控え、陸上・軟式テニス・柔道・サッカーが優勝した。この頃が呉高専のスポーツは全盛期だったのかも知れない。 呉高専定年の年、そのシーズンを意識したのか、私は努めてグラウンドに出た、これで終わり、平成元年の陸上はアッサリ12回目の優勝で私を送ってくれた。 盟友M君の言葉に、「クラブ活動の成果は、顧問がグラウンドに出た回数に比例する。」と言った言葉を思い出した。
開会式で、この企画と開催に感謝の意を表したが、終わって、なお一層、その気を強くした。最後までシッカリと見届け、その労をねぎらうこともなく、その上、多くの方々の見送りをいただきながら、高専を後にしたことを、深くお詫びし、御礼申し上げます。 呉高専陸上部がOBとともに主催した、創立50周年を記念した駅伝は、大成功で終わった。 万事「終わり」は、即ち「始まり」である。 陸上部の新しい一歩は、すでに始まっている。言うまでもなく、陸上競技の原点は、走・跳・投である。原点を確認し、ご健闘を祈る。
参考事項に続く −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 続・参考事項
※「欅について」 「ケヤキ」は、木目は粗いが材質強く美しく、くるいがすくないため、工作が容易で、家具・建具材に多用、さらに耐久性が強く大木に育つため神社仏閣の建築用材として貴重(大百科事典から)
※「私の一言」 グラウンドに植える木を、最初から「ケヤキ」と決めていたわけではない。庭の盆栽のケヤキの新芽が綺麗だったから、最初に挿し木をした時、辞書や百科事典を参照にして、これで<よし>と<独り合点>していただけである。
画像1:堀先生の揮毫 画像2:50KM駅伝晴れてゴールイン風景 画像3:約50年前の(1966)の秋、ハンガリーの首都ブタベスト市ピーブルズ・スタジアム・サブグラウンドの木(第8回欧州陸上選手権) −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 5月18日消印 封書にて近松受取 別紙に手書きによる先般の謝意と、木本氏より米寿の記念に白米をいただいた旨の文章が書き添えられておられました。またシルバー川柳より入選作を比喩した先生なりの人生感も少し・・・
|