-----§私のあしあと§-----
 


     
 
「同期会」 平成19年10・11月
2008/04/28

 同窓会・クラス会・同期会・OB会・0(ニ会など、さまざまな見出しをつけて幼なじみの顔をそろえ、旧交を温め、今を語り励まし慰め、互いに元気をもらう会がある。

その1・大昭会
 私にも小学校の同期会があり、大昭16会と名付けられ過去不定期的に呼びかけがあって、何回か出かけた。大昭の大は大正、昭は昭和からきた名称である。正確には同期生が大正15年生まれと昭和元年(12月26日から6日間)生まれに加え、翌年(抑2年1月から3月)生まれの者が同期という意味である。ただ16会とは昭和16年卒業ということだろうが、私は14年に小学校修業なので、正確には会員ではないことになる。しかし、ただ単なる大昭会ということで、私は、他の小学校から来られた人も交えて寄せてもらっていた。そして、前後合わせて4〜5回は参加させていただいたように思うが、近年は全く音沙汰なく、個々に電話したりなどして、近況を確かめているのが実情のようである。
 こういう類の集いはやがて消えるものであろうから、改めて今、同期会を開催する気運も雰囲気も恐らくもうないのかも知れない。「誰か故郷を想わざる」をみんなで歌ったあの感動はもうないのだろう。寂しいことである。
−−平成19(07)年10月−−

その2 五徳会(五十九期)
 旧制日本体育専門学校(現日本体育大学)の同期会がある。全国を各県人会持ち回りで、本年は十九回を迎えて広島だった。(別表参照)
 広島は2回目で前回私は、2毛作目の広島工業大学に勤めて2年目であり、さらにアジア大会・国体を控え超多忙であった。そのため、前回は十分なお世話ができなかった反省もあり、この度は少し精根を傾けることとした。10月22・23・24日と広島駅隣接のホテルを定め、1日目は総会・懇親会。2日目は厳島観光、JRで宮島へ。干潮だったので大息居の近くまで歩を進めた人や、ロープウェーで宮島の弥山頂上を征服した人も数人。(商店街でほ同窓のMさんの店でお世話になった)
 宮島口での昼食は私の準備不足もあって、穴子めしに少し戸惑ったが、予定どおり私鉄の電車で原爆ドームの前に到着。資料館・平和公園・本通り商店街を散策、お好み村で盛り上がった。
 3日目は、JR呉線を利用、約30分で到着。旧海軍の街を大和ミュージアムに行く歩道橋の上から説明した。
 大和ミュージアムの見学約50分。館内には、明治43年事故により殉職した第6潜水艇佐久間艇長の遺言をはじめ、多くの戦争犠牲者の遺書がある。そこには、先人達の死を目前にして、なおその責任感と使命感に燃えつきた心をみることが出来た。と同時に、それに比べ、自己主張が目立ち、無責任社会ともいわれる現在の日本人への痛烈な警鐘とも受け取れた。正午過ぎ広島に帰着。来年の茨城再会を約して解散した。
−−平成19(07)年11月−−

その3 42期会(旧制貼県立三次中学校)
 もうひとつ毎年2回の開催を楽しみにしている同期会がある。
 春は三次で中学校入学式−−昭和14年4月4日 −−に因んで毎年この日を観桜会と称して集まる同期会。もちろん桜が咲いていようが散っていようがおかまいなし。朝早く広島を出て10時過ぎ三次着。かなりの人数が見込まれた7〜8年前頃までは、マイクロバスに乗車、思い出の道を一巡して会場に着くという趣向だった。
 それも平成19年度は、代表幹事の阿川さんが入院中で延期、4月13日開催した。
一方、広島では毎年秋の開催を計画、これまた20数回を数え、本年は11月14日鯉城会館で18人の参加を得た。初め頃は広島在住者を対象に開いたもので県北からの参加者は限られていたようだが、近年は三次県北はもちろん島根や遠くは東京からも参加があり、実質年2回、三次(春)・広島(秋)の開催となった。
 しかも、この同期会には、1泊旅行数回を数えることができ思い出は尽きない。これらはすべて代表幹事を筆頭に、それを支えた協力者のおかげであり改めて感謝を捧げたい。しかしながら、近年物故者も約半数、諸般の事情も考慮、定例的に開催することを断念する事態に陥った。広島では今年度限り、三次では来春開催で終止符を打つこととなった。
−−平成19年11月−−

写真は佐久間艇長他乗組員を祀る呉市内「鯛の宮」に設置される艇長の遺書の全文

 
     


     
 
家族旅行−10年日誌MEMOから−
2008/04/28

 平成2(90)年3月、63歳で定年退職した。それまでjは、公務出掛まもちろん、スポーツ関係等の旅行もすべて私単独のものであった。従ってこれからは、出来るだけ家族の旅行を楽しむことにしたいと心掛け、以来17年余り、かなりの実績があがったように思うので別表の通りまとめてみた。
 傾向としては、8月夏休みを利用しての旅行が多く、本年も同様8月初旬、2泊3日別府に一家6人(祖父母・両親・孫二人小6・小3)が旅した。また8月下旬、息子一家は急に念願の、古代出雲歴史博物館と石見銀山見学の一泊二日の旅をした。さらに、私どもは8月29日孫二人とともに姫路城の日帰り見物に出かけた。孫の希望で計画したことではあったが、孫二人と祖父母の旅は初めてのことで、それだけにさまざまな感想があり、感動あり発見があって有意義であった。
 旅行の前日は夕方KAYOさん(息子の嫁さんの通称)が新車の顔見せを兼ね孫二人を乗せてやってきた。孫二人だけが親を離れて泊まるのは初めてのことで、親も孫も多少不安があったのだろうか、両親からは孫と祖父母の両者を気遣うメールが届いていた。孫たちは心配をそっちのけで夕方犬と散歩に出かけ、家に帰ったら風呂に入った。しばらくして驚いたことに、洗面器などそれぞれをきれいに磨き、こんなになったと自慢そうに祖母にも見せびらかしていた。ついこの間までは、風呂では玩具で遊ぶのが楽しみだったのに、成長したものだと感心した。夕食はよく食べ、よく話してくれた。石見銀山・出雲歴史博物館見学の感想や、ホテルが美保関でカーナビを頻りに探したことなど。また、夕食の終わり近くボツンと一言父さん帰ったかな!母さん一人でご飯食べてるかな!とか、親を思う子の姿とその優しさに、ついホロリとさせられた。 翌日は、ひかりレールスターで姫路へ、駅での改札など初めての経験もさることなが
ら、広島から岡山を経て兵庫県に入る地理的な感触も小学生らしい質問をしていた。
姫路城では、約2時間の見学。孫たちは元気そのものだったが、祖父母もま重労働だった。こうして社会勉強の一一日は、広島駅に出迎えた母親に会って終わった。

 
     


     
 
「人情に今古なく東西なし」 平成19年7月
2008/04/28

 平成19年7月30日の朝刊一面は、参議院選挙与野党逆転、自民党歴史的大敗と報道、衆議院は与党多数、参議院は野党とねじれ現象となった。国民にとってプラスかマイナスか見ものである。
 お互いを敵視する争いになったのでは、国民生活そっちのけとなる。是々非々を貫き、時には反対、時には協力もして、国民のためという大目標をそらさず進めてほしいものである。
 人が一人では何もできないと同様、政治も一党独裁では道を誤る。更にまた、憎しみや恨みをもった対立関係のあるところには、新しい発想や人の幸せは生まれない。ともかく熱い選挙は終わった。そして暑い8月がやってくる。
 32年前の7月30日も暑かった。あの朝、父は日赤広島病院で逝った。もう永くはないと宣告されてから意外と早かった。外科部長佐々木先生の心臓マッサージも及ばず「スミマセンデシタ」と一言。
 7月初旬精密検査ということで入院、手術したらお盆には帰れることを信じていた。しかし術後約2週間、意識は混沌としたまま帰らぬ人となった。残念でならなかった。残念といえば、なぜあれほど悪くなるまで見過ごしていたのだろうか。代替りになっているとはいえ、同じ医院の診察で80年まえ母は在宅のまま急逝した。不手際があったかどうかは別としても、帰らぬ生命を追い求め、母の場合も、父の場合も遺恨に思うこともあった。しかし、80年が過ぎ30年が過ぎ、いまなお親をいとおしく、慈しみ慕うことはあっても、遺恨に思うことはもう何もない。
 今年1月父の兄弟で最後の叔父が92歳で逝った。これまた急なことで家族の口からは、恨み節も聞かれたが、やがて時の流れとともに消えることだろう。多かった兄弟姉妹、今頃は黄泉の国とやらで談笑しているかも知れない。

 かって私の幼い頃は、「死者を思い敵を愛した武人」の逸話が多かった。スパイとしてとらえた男を、その子どもが父親は無罪と主張するのを聞き、「人情に古今なく東西なし」と放免したという、日露戦争第四軍司令官野津道貫(第五師鮎島耶麻貼)の話は有名である。
 先日、Q防衛大臣が、広島に原爆が投下されたのも、今となっては致し方なかったのだろうか、と発言し物議をかもし大臣を辞めた。これは戦争ではなく大量殺執行為だけに別ではあるが、日本人には敵を愛するとかという「ゆとり」は全くないのだろうか、敵はどこまでも敵であり未来永劫許すことのできないものなのであろうか。それは偽らざる心境だろうが、先人の過ちを「怨念」という形でその子孫が背負ってゆくという風潮は如何な
ものであろうか、と思う。
 恩讐を超えてともに生きてゆく、度量の深い人民になることこそ、平和を目指す心ではあるまいか。
 1976年アメリカ独立2百年を記念して、西海岸と東海岸を人が手をつなぎ結ぶ(ヒューマン・チェーン)という企画があった。何百万人の参加を要するかわからない夢のような計画である。それでもアメリカ人らしく、人種を超え老若男女を問わず、人間相互のつながりを大事に
する民族の祭典にふさわしい企画だなあと感心したものだ。そのアメリカも、今は終わりのない戦争を続けている。お互いを尊重し、許しあえる民族らしい、本来の姿を思い起こして欲しいものである。
 2〜3年前、大規模校から小規模校に転任したT校長から、「定年前で辞めようかと思う」との話を聞いた。即座に「最後まで辞めんさんな」と励ました。しばらくして、小規模校勤務の感想があった。これまで体験したことのない教育の原点に触れさせてもらっている、楽しい!!「最後までやります」と元気だった。
 巷では勤務先の大小で、人は栄転し、左遷されたという。私も経験したが、なかには軽蔑されて腹の立ったこともあった。しかしそれは私自身の心の耐久力や再生力のキャパシティーが小さかったという証拠であった。「生きることは苛酷である。状況は常に変化し、課題は山積する。要するに、それに敵対するのではなく、常に同化する努力を怠ってはならない。それがその人の力量となるのである。
 今やすべてを辞して1年半、気が付いてみれば、周りに人無く家内だけ、まさしくお杖さまと同行二人の心境である。 「君は川流(せんりゆう)を汲め、我は薪を拾わん」

----------------MEMO 
我が家には忘れてならないトコ(犬)がいる。3月生まれで、人問の歳に換算すれば、54歳くらい雄である。犬の年齢は1歳で成犬、人間では20歳、その後1年ごとに犬は4歳。人間サマはそれぞれかなり個人差はあるが一応みんな1歳、そういう計算をすると、あと10年で私は91歳、トコは犬年齢40を加えると94歳となり、私を追い越すことになる。
 これからも、1日約90分、朝夕の散歩を欠かさず、励まし合い助け合ってポチ求チでもいいが、虚心坦懐たんたんと楽しむことにしよう。
----------------MEMO 

 
     


     
 
CO2削減6%に向けて(京都議定書)平成19年6月
2008/04/28

 「県北の水」6月といえば梅雨の季節、でも今年は中旬を過ぎても雨が少なかった。
この春、知人から桜(染井吉野)の苗木を貰った。どうするか?、一応庭に仮り植えしてその後のことを考えよう、と思っていたらアッという間に葉ざくらになってしまい、庭の狭さを改めて認識した。
 そこでなんとか梅雨の時期、田舎に持ち帰りどこかに構えて貴おうと、機会をうかがっていた。しかし天気予報を聞いても、行く日は雨の降らないことを望み、翌日は雨が少し沢山降ってくれた方が良いと願う欲張りな日程は、なかなか決まらなかった。やっと、6月26日、先方の都合も確認し、桜のほか2〜3の幼木を車の座席に積み運んだ。場所を決めてくれたら、植えて帰ろうと思っていたが、弟に任せ、墓参りしてお茶をご馳走になり、田舎のお土産を貰って帰った。
 話を聞くと、この冬は雪がほとんど降らなかったとのこと、従って山からの水は少なく、田植えの時期はなんとか過ごすことが出来たが、このままだと夏は水不足だろうとのことであった。幼い頃母屋と牛小屋兼納屋の間は、雪が多くても困らぬように通路があり、その横は、風呂や漬物倉庫が並んでいた。そしてその北側には4〜5坪程度の池があった。鯉も2〜30匹はいたし、蛙も田螺もいて睡蓮もあった。水は滔々とまではいかなかったが、それなりに尽きることなく、池いっぱいに溢れ牛小屋の東側を流れていた。しかし、その池も今は、約半分に埋められて、山からの水も枯れ果て、台所からの汚水が大部分で、魚も住めない沼に化けてしまい、水草や菖蒲が茂っていた。
 帰途、少し休憩して帰ることになり、高宮の湯の森まで行き昼食をとった。
 さらにそこで、川根の農協を訪ね契約米のことなど調べてみようということになり、山越えをして親戚に立ち寄った。これまたご迷惑をかけ墓参りをして帰った。このあたりは、渓谷からの水が豊富で幼い頃は、家の近くまで引いてある用水路の傍らに3坪程度の水溜まりがあり、大きな鯉が勢いよく2〜30匹は泳いでいたものだ。しかし今は、水路から溢れるように流れていた水も少なく、何となく元気のないような流れで、水溜まりも荒れて鯉もいなかった。
 この県北の小さな山間で水の流れを見た現象は、僅か半世紀の間の変化である。
 今や地球規模で大きく環境問題が問われる時代、その現実をこの日私は痛感した。

----------------MEMO
「東北地方の温暖化現象」 私学年金連報(No47−通巻112)の巻頭に「環境問題について思う」という論説があった。 下記抜粋
「確かにこの頃の天候はおかしい、こどもの頃秋田の冬は雪で寒かった。この2月里帰りして驚いた。雪が全くなかった。15年前までは、春菊や大根は冬を越せなかったが今では元気で冬を超し花を咲かせる。冬の朝、水道が凍って水が出ないこともなくなった。これが、温暖化現象だといわれれば納得せざるを得ない。
 さらに、このままCO2が増え続けると、約80年後には、空気中のCO2濃度が30%を超える。そうなると人類滅亡するという衝撃的な説のあること」も紹介されていた。
----------------MEMO
「自分をシッカリ見よ」 温暖化現象・異常気象の危機は深刻である。と、女流作家、堀 文子は、サライ(07年5・6月号)で、旅をするにしても、若い頃は遠くの世界に憧れていたが、遅蒔きながら自分の国を知らず、疎かにしていたことに気がつき恥じている。よその国はさておき自分の国をシッカリ見よ、と改めて今我が身に言い聞かせている。
 環境問題にしても同様である。欲望の充足を追う経済成長を変える決意と勇気を持つほか道なし。と断じ、先ず自らがCO2を減らす努力をしようと呼び掛けている。
 「日本人の特性」 真面目で質素で控えめで働き者だった日本人は、私を含めて合理化の名のもとに便利な機器のあふれた文明生活を追い求めた。その結果は、贅沢で横着で自堕落な生活に流れ、「ものの哀れ」言い換えれば「しみじみとした情感」を尊重する日本人固有の心までも失われ、スッカリ乾いて荒んでしまった。
「具体的目標」今年の正月、年頭の目標の一つに、積み重ねてあった書籍、雑誌、その他書類の整理があった。従って時々一日中仕分けに没頭することもあったが、ただ今6月末、まだ終わっていない。こんなことで、目標達成ができるかどうか不安である。しかし収穫がなかったわけではない。戦後の学生時代ノートの代わりに、ザラ紙を紙縒りで綴じたノートや、重ねたら本棚に、横にしたら机に、引っ越しの時は荷物入れになってくれた箱、それは今では見れなくなった木製のリンゴ箱である。先般、それが物置で立派に棚の役目を果たしているのを発見、改めて懐かしく、嬉しく、そしてよくぞ半世紀にわたりご苦労と感謝した。
 贅沢な生活とは何かを整理し、日常生活で可能なエネルギーの節約について考えてみよう。明日からでも出来ることがある。
1〉早寝早起き、40年前は夜10時までおきている人は、人口の30%、今は80%以上。 
2〉水道水は細目に出し、垂流さない。
3〉食事は腹8分。
4〉暖房温度は低め、冷房は高め。
5〉買物は徒歩、自転車、バス。
6〉電気は使う時コンセントを差し、終わったら抜く。
7〉エスカレータ・エレベーター無用。
8〉ゴミを出さない工夫と分別。
9〉生ゴミは埋めて肥料に。
10〉こまめにアイドリング・ストップ等など。(一部上記私学年年金連報から引用)。

日本のCO2削減目標6%に向けて、貧者の一燈をのぞむ。(07・6・30)

 
     


     
 
W杯マラソン広島大会並びにワールドチャレンジ・ロードリレー開催の経緯についてMEMO 平成19年5月
2008/04/28

平19(07)年5月初旬、テレビ新広島からの電話で、1986年広島で開催されたIAAFワールドチャレンジ・ロード・リレー(IAAF国際駅伝)の開催経緯について質問があった。その後、千葉国際駅伝がはぼ同じ内容で開催されるようになったが、その間の事情など、時間経過とともに話はさまざま・憶測もあるようで、資料も散逸してしまうかも知れない。この際関連もあるので前年に開催したW杯マラソン広島大会も含めて、私のMEMOを参考に記録しておくこととした。(1984年から広島陸協の事務長を務めた)

----------------MEMO
W杯マラソン広島大会(1985・4・13−14)について

1983年12月、マニラで開催されたIAAF評議員会において、第1回W杯マラソンを広島で開催することが承認された。国際陸連ネピオロ会長はこの発表にあたり「広島は被爆都市である。われわれはこのマラソンが特別重要性を持つものと信ずる。世界のすべての人々が平和と友情のうちに生きたいと願っていることを示すものだ」と語り、主催者の意図するところを端的に物語ったものだった。
 候補地には、ほかに口ンドン、モントリオール、バッファロー、ウィーン、ソウルの各都市があがっていた。
 さらに、広島開催までには、次のような背景のあったことが推察される。
IAAは、かって日本が東京で開催を提案した、第1回世界陸上選手権大会を83年8月ヘルシンキで開催大成功に終わった。(放映料400万ドル、入場料300ドルなど、総収入1,500万ドル。約500万ドルの黒字)。 気をよくした(?)IAAFはこの頃から、初めての、マラソン単独選手権兼国際対抗(各国上位3人)の開催を企画、第1候補を日本に絞って折衝してきた。
 日本陸連は、国内事情、交通問題さらには東京・大阪の大都市では開催が困難として断り続けてきた。しかし、成功するためには日本以外では考えられないと、ネビオロ会長直々に依頼してきた。日本陸連は応えざるをえないと判断し、アジア大会開催都市と原爆都市である広島を候補に打診することとなった。

 その経緯は、

1983・11・13(土) 神戸市で、日本陸連青木会長・帖佐専務・広島は増西会長・遠藤理事長の四者会談、広島開催を打診。態度保留のまま帰広。

     15 広島市荒木市長・増西会長会談、被爆四〇周年の機会、記念事業として歓迎。

   16〜26 県知事、県警察本部・県・市教育委員会・県体育協会など協力要請。

   27(土)日本陸連理事会、W杯マラソン受諾の方向、開催地は広島また筑波学園都市と発表。

   30   広島開催を内諾

12月16〜18日 マニラIAAF評議員会、広島開催承認
  21〜22日 広島開催を各社報道
    23日 広島陸上競技協会理事会事情説明と承認

第1回W杯マラソン大会実施内容(案)(1983・12・21現在)

主催  国際陸上競技連盟
主幹  日本陸上連盟(競技運営・広島陸上競技協会)
後援  広島県・広島市・広島県教育委員会・広島市教育委員会
日時  昭和60年(85)年4月中旬〜下旬
場所  広島市平和大通り また県営陸上競技場
種目  一般男子マラソン、ジュニア男(20K)、女(15K)
参加者 マラソン男女300〜500、ジュニア男女150、役員・コーチ80
内容  土曜日(女)、日曜日(男)、個人選手権と上位3人国別対抗
経費  約7億、スポンサーは日本陸連調整、県・市より500万補助。
*参考 85WORLD CUP MARATHON HIROSHIMA 報告書一日本陸上連盟発行
----------------MEMO

----------------MEMO
IAAF・ワールド・チャレンジ・ロードリレー(1986−11−30)について(中国新聞朝刊第1面記事資料)

 内容としては、IAAFから要請のあった日本陸連が受諾の方向で、広島市を第1候補に挙げた理由や参加国について説明している。
 この新聞記事とは多少異なるが、広島陸協が、直接受けた国際駅伝の内容は、次の通りであった。

1〉名称   IAAFワールドチャレンジ・ロード・リレー
2〉主催   IAAF(国際陸上競技連盟)
3〉期日   1986−11−23又は24を予定
4〉場所   主管する日本陸連は広島市を候補に挙げている
5〉開催要領
  1)距離  42,195K 6区問
  2)形式  男・女 国際対抗
  3)参加国 男12ヶ国 女10ヶ国
  1986年3月スイスで開催の、第14回世界クロスカントリー選手権の団体戦の成績により男子8ヶ国、女子6ヶ国が自動的に出場資格を得る。残りの男子4ヶ国、女子2ヶ国は、組織委員会の推薦よる。
6〉開催経費 IAAF負担
7〉 1)日本開催について
世界史上初めての公式世界駅伝となるこの大会は、ロードレースの普及に意欲を持つIAAFが、駅伝競走発祥の地日本での開催を強く希望し、日本陸連は受諾の方向で検討している。

   2)広島開催について
本年は、国際平和年に当たり、広島開催は世界平和に大きく寄与することが期待されている。昨年のW杯マラソン広島大会が成功であり、また中国駅伝等、経験豊かな広島での開催は、技術的にも安定している。
----------------MEMO

IAAF、アルネ・リュンクピスト副会長は、大会終了後次のように語った。
 
大会は大成功、ただし2回大会以降の開催は全く白紙である。駅伝が世界に通用する競技であることが分かり、日本で生まれた駅伝が国際化に向けて一歩を踏み出したことを認めたうえで、駅伝の魅力について二つの理由を挙げた。その1、タスキリレーにより目まぐるしく順位が替わり、ロードレースにありがちな単調さが解消されている。その2、中・長距離からマラソン選手までタイプの違った選手が、同一レースでそれぞれの個性を発揮している。「ロードレースの普及にこれ以上のものはない」と言い切った。
----------------MEMO

IAAF国際駅伝広島大会を応援する会
(86−9−17設立)、構成(スポーツ・レクリエーション、教育、健康、保健、地域、福祉、経済、労働、報道機関18団体)、会長中野重美・広島県体育協会、経費(特別推進寄付・テレビ新広島・一千万、広島市補助200万、一般推進寄付157万、協賛金203万、その他合計15,673,858円)

 応援する会のおかげで前評判はよかったが、何分距離も短く、強引に持ち込まれたこの駅伝は、日程の調整もままならず日本チームの成績も散々であった。
 その後、ほぼ同じ内容で88年千葉国際駅伝、一年間をおいて、90年から毎年千葉で開催されているが、今ひとつの感である。

 
     


 
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