-----§私のあしあと§-----
 


     
 
「衆愚政治」平成19年4月
2008/04/28

1947年に始まった統一地方選挙は、今年4月で16回目、丁度60年になった。
 還暦を迎えた選挙制度も、平成の大合併や、汚職問題などで辞職する首長もあって、選挙の期日は不揃いのまま「統一率」は3割を切ってしまったらしい。どうやら経費節減や投票率アップなどを目的に続けたこの選挙も見直さざるをえない様相である。
 しかし、とにもかくにも今年は8日と22日の投票で統一地方選挙は終わった。

 60年前、この選挙が始まった当初から有権者であった私は、近頃どうも関心が薄くなつたのか、無駄に見える選挙もあったりして、2〜3年に1回くらいは棄権しているかも知れない、と反省している。
 先日の新聞にフランス大統領選挙の投票率が84.0%「日本では考えられない」という記事があった。本当に考えられないのか、と疑問に思いながら、都道県知事選挙結果をみると(別表投票率参照)、なるほど岩手の68.53%を最高に、最低は神奈川の47.04%で13都道県知事選拳は終わった。ちなみに、当日政令市広島では市長選挙があつて投票率は53.75%(前回44.94%)であった。
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「日本では考えられない」と報道された仏大統領選挙には、確かにほとんどが追い付かないものであったが、この度の後期地方選挙では次のような高率の例もあった。)

 高知県の場合は、核の処分雛町内に謝ることに対する是非を問うもので89.26%。

 福島県の場合は、1967年以来連続10期無投票が続いていた村のことで96.59%

 新潟県の場合は、少数激戦、定数8人に対し9人がが立候補、12年ぶりの選挙で有権者303人の村会議員選挙のこと99.34%であった。

以上これらは、いずれも争点が明確であり、有権者自らの関心と一票の重みが高い投票率の結果につながったものと思われる。
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 前述の仏大統領選挙が決選投票に持ち込まれたことは、周知のとおりであるが、この度のわが国統一地方選挙では、立候補者5人のうち1位の候補者の得票数が、今回の有効得票総数の4分の1に達せず、50日以内の再選挙になった例が宮城県の町にあつた。これは、投票率が低かったことが要因であろう。

 4月中旬の新聞に北大大学院Y教授は、都知事選と広島市長選を比べおよそ対極に位置する、として無党派層とは何かを問うていた。まっとうに人権や平等を訴えても民主主義や人倫に反するメッセージでも、いずれも強力な磁場から出てきたものでなければ、普通の市民には届かない事態になっていて、言葉では通じにくくなっている現状を訴えながらも、しかし、言葉によって問題を論ずる以外には政治を良くしてゆく道はない。と論じていた。
 私は、60年前初めて選挙演説というものに出会った、それは松本瀧蔵(別記)の演説だった。民主主義を懇切に解説したものであった。そして、民主主義は一歩誤ると自ら墓穴を掘ることがある。それは「衆愚政治」に成り果てることである。と説かれ、そのようなことにならないためには、有権者個人が誤った人権主義や平等主義に惑わされることなくシッカリ自立した個人の考えを持つことである。それが民主国家日本の将来を左右するものである。と聞いた。この文言は、今もなお脳裏に焼き付いて離れない。

今、憲法改正論議の高まるなかで、国民投票案の審議が始まろうとしている。これからが見ものであるが、日本の選挙、特にこの4月統一地方選挙などを眺める限り、このままでは「衆愚政治」の方向を辿つているのでは?と危惧する。
 なかでも「投票率」の低迷は最も気になるところである。

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先の、統一選挙で、東京都では14人立候補した。当選者の得票は、有効票の51.6%だった。言い換えれば、落選した13人の得票数合計よりも石原氏の方が多かったというこどである。

一方、広島市長の秋葉氏は、47.25%の得票で、落選した3人の得票数合計より、少なかった。これはこの度の地方選拳には現職としては珍しい例であった。

ちなみに、神奈川では、投票率は低かったが、当選者の得票は、有効票の62.8%もあった。
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松本瀧蔵(1901〜1958)政治家・衆議院議員(1946〜1958)広島出身、明治大学・ハーバード大学院卒、明治大・日本女子大・フィリピン国立大の教授を歴任、1946年4月衆議院議員選挙に無所属で立候補当選。
外務政務次官、内閣官房副長官(2回)、サンフランシスコ講和条約会議、日・ソ国交回復交渉に参加。
1950年日本水泳チーム団長・1950年ヘルシンキオリンあピック本部役員などスポーツ振興にも貢献。
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家族(みんなは一人のために、一人はみんなのために)平成19年3月
2007/12/31

所謂、年度末の3月が終わった。
今年も卒業式があったり、異動の発表があったり、この時期は私の道のりをふりかえってみても毎年やっぱり多忙だった。何をどうしたかは、定かではないが、終わった成し遂げたという達成感とともに、再びチャレンジする新しい気迫みたいなものを覚えた。

私はかって仕事が大事か家族が大事か?の質問に言葉を失ったことがあったが、果たして両者のバランスを保ちながら、一家の大黒柱として機能してきたであろうか。とてもイエスとは言えないのが実情である。

今、娘や息子の家族をみると、それぞれが父親を中心に「みんなは一人のために、一人はみんなのために」手を取り合って一所懸命いきている。長女50才、長男44才。長女の家族は埼玉で主人と、成人した孫二人とともに頑張っている。長男の家族は広島で嫁とともに、小学生二人の孫を抱えてテンヤワンヤである。住む場所も遠く、状況も違うがそれぞれ懸命に生きている様子がよく見える。この3月、父親は二人とも勤務先で昇任の内示があり、みんなで喜び。小学生たちは通告表をみて祖父母とともに喜んだ。また埼玉では、孫二人が資格試験にパスしたとか、後輩が入ってきたとかで、これまた遠く離れた私どもも加えてみんなで喜んだ。

家族はこのようにして、夫婦を根っこにして変化し成長していく、夫婦をお茶の味にたとえる話があるが、結婚50年を過ぎた私どもは、四番茶というところだろうか。無味とは思わないが、お互い空気のような存在である。

家族における子どもの成長は、「親の背中をみて育つ」といわれるが、私の家庭は私が勤めに出る時はともかく、そのほかは、日曜・祭日にもかかわらず家を留守に、出ていく後ろ姿を恨めしく見送りながら父親不在で育ったわけである。母親の力・おかげ・内助の功で、二人の子はそれぞれ立派に成長し家庭を構え、親業を懸命に務めている。ここの改めて、「君が妻君で良かった」「君たちの親で良かった」と内心感謝している。この体験は、孫達がやがて親になった時、その務めを果たしてくれる家庭が出来上がることであろう。時代的・個人的事情と背景もあるが、私には親像が欠落したままだったので、やっとこの晩年になって、妻や子供たちに救われた想いである。感謝!!感謝!!
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「天寿にも人それぞれの運命(サダメ)あり」
昨年末から”黄泉の旅路”にお送りした方が相次いだ。義兄91才、広島工大創立者名誉総長91才、伯父92才、同期、高専同僚61才と続いた。もうすぐ81才を迎える私は、20年もすると百才万歳となる。日本人男性の哲学として、いさぎよい退き方とか、よく言われ気になったものだ。しかしこの歳になって、もう散りぎわの美学を求めるつもりはない。

天下の大親分小金井小次郎は、今にも息絶えなんとする時、むっくり起き上がり枕元にあった長脇差をつかみ”おれは男だ寝ちゃ死なれねぇ”と啖呵を切り、そのまま息を引き取った、そうだ。一方全く対照的に「今までは他人ごとだと思うたに、俺が死ぬとはこいつぁたまらぬ」と何とも情けない歌を残して死んだお坊さんがいた。

前者は一見強そうで、すさまじい姿を想像するが、実は弱い空虚な響きを与えてくれる。それにくらべ、人を喰ったような辞世を残したこのお坊さんは、朝夕その道を説いた身でありながら、いざ自らの問題として死に直面した時、なお悟りの道にほど遠い自分を省みて詠んだ歌である。

切ったはったの世界に生きた人と、私どもは比較にならないが、せめてこのお坊さんの境地に近くになり往生したいものだと思っている。

「書くことは自分を見つめ直すことである」という文言に引き寄せられ、この3月、自らを見直す絶好の機会であったことに感謝したい。4月からはまた新しい年度、これからもまだまだ迷いながら、「一人はみんなのために、みんなは一人のために」をモットーに、それこそゆっくりボチボチと行くことにしよう。

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MEMO

<夫婦はお茶の味>
一番茶 まろやかで甘い(青年期)
二番茶 しぶく にがい(壮年期)
三番茶 いぶしぎん  (熟年期)
四番茶 無味 空気  (老年期)

<一所懸命>
物事を必死になってするということ。現在は一生懸命が通常用いられるが、元来は「一所懸命」である。昔武士が自分の領地を命を懸けて守ったことからきた言葉である。

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                平成19(07)年3月記




 
     


     
 
道くさ・より道・回り道−平成19年2月−
2007/12/31

先日、家内の友人から、「孫がK高専に合格した。広島市内のF高校にも願書を出しているが、本人曰く3年後にはまた大学受験がある、もう疲れた。高専はどんなところか、もう少し詳しく知りたい。」という問い合わせであった。聞けば現在東京在住で春から両親ともども広島に帰ってくる、とのこと。

とりあえず、私は次のようなことを資料など添えて回答した。広島市内のF高校に進学すれば、今後の進路は自由でしかも広い、ジックリ今後を見通したうえで自分の道を選択することができる。

一方、高専については、入学の段階で専門の学科が決まり、将来の道はその枠のなかで選択することとなり、およそ一本道であることを覚悟しなければなるまい。おまけにK高専の教授陣は学究肌の人が多く、ある意味では学園の特色にもなっているが、反面人間そのものを育てることについては、よく言えば自由、悪く言えばルーズであるかも知れない。従って本人の自覚はもちろん、在学中5年間の前半期は特に、保護者の教育力に期待することが大きい、などと回答した。

この段階での選択は、本人の将来を左右することでもあり、公正な見方を伝えることに意を注いだつもりである。しかし、本人の意思が固くそれを維持することができれば、高専は世間で言われるほど中途半端なところではない。

卒業すれば短大卒と同等資格で、しかも確かな技術を身につけた有能な人材であると期待されている。そのことは、バブル崩壊後も常に100%の就職率を保ってきたことからも証明されている。さらに現在は、専攻科が設けられ、卒業すれば大学卒と同等であり、また一方、国公立大学編入も希望すれば100%が合格する現状である。(資料参照)

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ちなみに、W君はK高専陸上部の主将として全国準優勝の立役者であったが、東大大学院を終わり、前弘大学に赴任、情報工学の権威者に成長、40才そこそこで岡山県立大学教授に迎えられ活躍。
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F君はK高専陸上部のなかでも異色で、陸上全国でも活躍後、上智大に編入、卒業後国家公務員1種に合格、現在国立近代美術館。
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私の従弟の子Sは、高校中退後、広島市Y学習塾に転じ大検合格、回り道したが東大入学・卒業後、大手商社入社、今春ケンブリッジ大留学派遣予定。
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このようにして人々は、行く道がそれぞれの節目それなりに決まる。後戻りはできないし、二つの道を同時に歩くことも難しい。そして時には休みなく流れ、回り道をしてまた元にかえることもあるが、当然ながら自分を含めてすべてが以前のままではない。人生いろいろ、迷いもなくハードルもなく、ストレートに突っ走る人もあるが、私はそうではなかった。みち草したり、より道したり、回り道しながら辿ってきた。今、終わりよければ総てよし、とも聞くが、私自身はまだまだ「迷いばかり」である。

                −平成19(07)2月−

 
     


     
 
「一葉知秋」 平成19(07)1月
2007/12/30

今年のニューイヤー駅伝では、中国電力が2度目の優勝を飾った。昨年末は、全日本中学駅伝で八本松(男)と伴(女)がアベック優勝し、続けて全国高校駅伝では、世羅(男)が32年ぶりに優勝した。おかげで、広島の駅伝は全国で高い評価を受けた。

そしていよいよ、本年度駅伝の総決算となる1月の全国都道府県対抗駅伝、女子(14日、京都)・男子(21日、広島)を迎えた。京都における広島県女子チームは、伴中学の二人と県チーム主将Kさんの活躍に加え、1区の大学生の力走もあったが、9人の走者のうち区間順位が2区39位、7区31位アンカー34位では、上位も虚しく17位に終わった。

女子はともかく、地元開催の男子については、昨年末からの中学・高校・実業団の全国優勝チームを抱える広島県チームに対して、内外から大きな期待が寄せられた。しかし、結果は見事に裏切られた。

言うまでもなく、中学・高校・実業団の全国駅伝は、各学校・職域の単独チームであるが、一方、都道府県対抗男女の駅伝は、国体と同様各都道府県の代表チームである。昨年開催の兵庫大会においても、陸上競技広島県代表選手団の前評判は上々で、広島国体に近い得点予想を聞いたが、終わってみれば競技得点32点、参加点を加えても、広島国体86、5点には遠く及ばなかった。

別表は、第12回全国都道府県対抗男子駅伝チーム監督の抱負とその結果で、その抱負と結果の違いは、当然ながら上位に少なく下位に多く興味深い。

終わって主催者である地元新聞には、広島県チームの不甲斐なさに「期待が大きいほど失望感は増す」「果たしてベストの布陣で地元の期待に応えようと努力したのか」と酷評していた。努力と結果は同じではないとしても、関係者はその責任の重大さを噛み締めたことであろう。

いずれにしても、チーム編成の苦労とともに、過大な期待をかけられることにより、謙虚さを忘れ本来の姿を見失ったのであろうかと、同情する。がしかし、まさしく「一葉落ちて天下の秋を知る」をのぞむところ。

                平成19(07)年1月記

-----------------資料を抜粋

順位 チーム 監督の抱負

1位  兵庫  力まず連続入賞、力出し切れば優勝
2位  長野  4連覇に挑戦
3位  佐賀  安定感あり、10位以内狙う
4位  長崎  上位を狙う
5位  熊本  入賞を目標
6位  福岡  優勝を狙える布陣
中略
13位  広島  11年ぶりの優勝チャンス
26位  宮崎  1桁順位が目標
29位  島根  10位台を目標
46位  北海道 充実21位より上を狙う
47位  青森  チーム初の30位台を狙う
---------------------------以上抜粋

*監督の抱負と結果の相違は、上位に少なく、下位に多い。チーム事情にもよるところがあるが、監督の力量は?

 

 
     


     
 
「はじめに」新しいあしあと −平19(07)1月
2007/12/30

平成18(06)年は、やがてこういう時の必ずやってくることを、予測していたが、毎日が暇で時間を持て余すということもなく、日常の雑用に追われ結構楽しい一年を送った。(平成17年3月財団法人広島県陸上競技副会長退任、同年12月府中町教育委員会委員長辞任)

4月は春の叙勲に浴し、5月は家内同伴で皇居に参内した。各方面から祝意をたまわり感謝しながら、慌ただしい毎日だった。なお、お祝い会などについては、恒例の行事以外はすべて固辞する方針を貫いた。しかし、親類縁者の集いとか、同窓・友人後輩など小グループの集まりや、お盆休みを利用した高専陸上部OB会などがあり、その都度雑用もあって忙しく、多くの方々にお世話になった。

そしてあっという間に晩秋を迎え、やっと落ち着いた。丁度そのころ、この機会に私の写真や短文を集めて再編集した「道のり」が完成した。働き盛り(1期生58歳から40歳前後)になった陸上部卒業生のため「すこしは役立つか」と思い、その他友人などにもそれぞれ配布した。

今、平成19年(07)年を迎え、昨年は私自身ひとつの区切りであったと思う。これからの晩年は残り少ない年月を、また新しいスタートであると自覚して生きてゆきたい。

私の人生80年を振り返ってみるとさまざまであった。成長するにつれ多少の自信をいただいたと勘違い、慢心してしまった自分を厳しく反省する昨今である。これからは、幸い家内と家族に支えられ、年齢を刻んだ人にふさわしく、控えめに素直で見通しのきく生き方を心がけて歩みたい。

そのためには、今後毎月随筆をしたためながら「あしあと」を確かめてみようと思う。

 
     


 
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